聞こえないままにされていた声を聴くために ...

1.「もの言えぬ」生きものと‘ききみみずきん’

「”もの言えぬ”生きもの」という言葉が、何とよく繰り返されていることか!
  もちろん、”もの言えぬ”という言葉は、多くの場合、悲惨な目に遭っている生きものたちに対して、その代弁者である人々が使っている。こうした人々は、自然保護や動物愛護に目を向けている場合が多い。そして彼らは、自然や生きものが、心ない人たちに対して”もの言えない”立場にあることを言っているのだ。そして、代弁者たらんとする人々の多くは、動物や植物たちの声を聴いている。実際、生きものたちに共感することに驚くほどの能力や感性を持つ人々もいる。
 つまり、”もの言えぬ”
生きものという言葉は、生きものたちがコミュニケートできない、ということを表しているのではなく、聴かない/聴けないでいる人々がいることを言っている。生きものにその声がないわけではないのだ。

 その昔、生きものの声を聴く‘ききみみずきん’をもっている人々がいたという(*1)。

 それに比べて、今のわたしたちはどうなのか(*2)。

 多くの人々は聴かないでやりすごしてしまったり、喧噪の中で聴こえなくなっていたり、聴かない方が都合がよいと決め込んでしまったりしているのかもしれない。しかし、わたしたちはきっと聴くことができる。そして、環境や人間の精神の荒廃、人類の未来への不安がかつてないほど意識されている今、わたしたちは聴くために耳を澄まさなければならない。このままいくと、生きものとしての自らの声さえ、聴こえなくなってしまう可能性があるからだ。

 

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