* 「聞き耳頭巾」を持つ人々:ジェーン・グドール *

3.グドールとチンパンジーとの対話


  とは言え、わたしたちの関心、「異種間コミュニケーション」の話に戻るなら、グドールは、チンパンジーを理解することを目指していたのであり、チンパンジーと“いかに交流するか”ではなかった。1965年、リーキーの口添えで、彼女はケンブリッジ大学のロバート・ハインド教授の下で、博士号を取得する。彼女の研究課題はチンパンジーの行動研究であり、人として”チンパンジーといかに対話するか/関係するか”ではなかった。
  グドールがチンパンジーと接触したやり方は、科学としても倫理規範の面から見ても、試行錯誤であったと言えよう。例えば、チンパンジーの餌付
け、怪我や病気の際の治療、人間との身体的接触などは、動物行動の研究としても、野生動物と人間との関係を考える立場としても、慎重な対応が必要であり、彼女が当時行ったことの中には肯定できる側面ばかりがあるわけではない。(もっとも、当時も現在も、野生動物の危機的状況に直面して、否定的な面を解しつつも、チンパンジーの生活に人間が介入せざるをえない状況もある。)
  多少長くなるが、次の引用を読んでグドールと一頭のチンパンジー「白髭のデーヴィッド」との出会いを味わってほしい。そして、グドールがどのようにしてチンパンジーと“心を通わせたか”を感じてほしい。

  <グドールと白髭のデーヴィッド>
 そのあとにおこったことは、四〇年近くたったいまでも、なまなましく記憶にのこっている。白ひげのデーヴィッドが立ち上がり、けもの道を歩き出したので、わたしもあとを追った。しばらく歩くと、かれはけもの道をはずれ、渓流のそばの密集した下生えのなかに入っていった。つる植物に足をとられ、大きく遅れをとったわたしは、デーヴィッドに逃げられたに違いないとおもった。しかし、ようやく下生えをとおりぬけると、かれは川のほとりにすわっていた。まるでわたしを待っていたかのようだった。わたしはかれの黒く輝く大きな目をのぞきこんだ。ぱっちりとひらいたその目には、おだやかな自信と生まれついての気高さがあらわれているようにおもえた。ほとんどの霊長類は目をあわせると威嚇だとうけとるが、チンパンジーはそうではな
い。デーヴィッドから教わったのは、こちらが尊大な気もちやなにかを要求する気もちをもっていないかぎり、正面から目をあわせてもきにしないということだった。あの日の午後のように、デーヴィッドもときどきわたしの目をのぞきかえすことがあった。わたしにその技量さえあれば、かれの目はほとんど、こころのなかがみわたせる窓のようなものだったはずだ。あの日以来、ほんの一瞬でもいいからチンパンジーの目で、チンパンジーのこころをもって世界をながめてみたいと、何度おもったことだろう。一分間それができたら、一生かけた研究にも匹敵するはずだ。なぜなら、わたしたちはヒトの視野、ヒトの世界観に拘束されていて、それ以外のものの見方ができないからだ。それどころか、じっさいには自分が属する文化以外の文化の目で世界をみることも、異性の目で世界をみることすらもできないでいる。

 

 川辺でデーヴィッドと向かいあってすわっていたわたしは、すぐそばに熟(う)れたココヤシの実がころがっていることに気づいた。わたしはそれを手にとり、かれにさし出した。デーヴィッドはちらっとわたしをみると、腕をのばしてヤシの実をうけとった。かれはその実をぽとんと落とし、やさしくわたしの手をとった。そのメッセージを理解するのにことばは不要だった。ヤシの実はほしくなかったが、わたしの善意は理解した。おまえの気もちはわかったから安心しろ、といっていた。いまもって、わたしはかれの指のやわらかな感触をおぼえている。わたしたちは言語よりずっと古いことばで、先史時代の祖先たちが使い、ふたつの世界の橋渡しをすることばでコミュニケートした。わたしは深い感動につつまれた。デービッドが立ちあがり、歩きだしたが、わたしはあとを追わなかった。静かにすわって、渓流のせせらぎをききながら、たったいま経験したことを永遠にこころに刻んでおこうと自分に誓っていた。
 デーヴィッドとその仲間に対する理解が深まるにつれて、むかしからあった自分以外のすべての生きものにたいする敬意もいっそう深まっていった。チンパンジーへの理解はチンパンジーの世界をこえて、さらに広大な認識へとひろがっていった。チンパンジーもヒヒも尾のあるサルたちも、鳥類も昆虫類も、生気あふれる森の豊かな植物たちも、千変万化する湖も、無数の恒星も、太陽系の惑星も、すべてがひとつの全体をなしていた。すべてはひとつであり、大いなる神秘の一部をなしていた。そして、わたしもその一部だった。わたしは静寂に支配されるようになった。気がつくと。こうつぶやいていることが多くなった。「ここがわたしのいるべき世界。これがこの世でするべき仕事」。かつて、あわただしい文明社会に住んでいたころに、古い聖堂でときどき感じたこころの平安とおなじものを、いつしかゴンベの森があたえてくれていた。

    (『森の旅人』. 上野圭一訳. 松沢哲郎監訳. p.108-109より抜粋)

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