* 「聞き耳頭巾」を持つ人々:ジム・ノルマン *
【コミュニケーションの原則・手順・技法1/3】
さて、ノルマンの異種間コミュニケーションの真偽に関わるよりも、そんなことは飛び越えて、“どうやったらこんなコミュニケーションが可能なのか”に関心がある方々と、ノルマン流異種間コミュニケーションの秘訣について考えてみよう。
1.コミュニケーション手段
最初に、どのようなコミュニケーション手段を採るのかを見てみよう。ギター奏者として巧みに ――だがたとえば、水中ではオルカと比べてぎこちなく―― 様々な種類のギターを繰るのに加え、尺八、シンセサイザー、ハモニカ、ボーカル(詠唱、吠え声、etc. )など非常に豊富な楽器の種類を用いる。その上、ステンレスと真鍮で出来た<ウォーターフォン>という楽器などを、自らの手で創り出したりもするのだ。(材料は、電気掃除機のホースとピザの皿とサラダボールである! それを水の上に抱きかかえるようにして浮かべて、イルカに語りかけるのだ)。<ホエール・シンガー・ドラム>という楽器も開発された。
ノルマンにとって、コミュニケーションのためのメディアは重要だ。その動物とうまく通じ合う楽器でなければならないし、そのためにはそれを創ることさえ厭わない。どうやって、「通じ合う楽器」を探し出せるのか? ここに、イルカと語り合うための楽器を模索して、アボリジニが使う"イルカを呼ぶ棒か、コンピュータか"という選択に立たされ、あるこだわりをもって棒を選んだ彼の記述がある。
なくした棒に潜む不思議な力には、象徴的、歴史的、かつ高度に儀式化された背景があるはずだ。
だが、アボリジニの文化の知られざる儀式的精神をそのまま真似ようとするのは、愚かで、まったく無駄な行為だろう。心臓の手術をテレビで見ただけで実際にやってみようとするのと同じだ。
むしろ、自分自身の現代の西洋的信念体系を見つめ直し、何を信じているかを問い直す方がよかろう。異なる種とのコミュニケーションという途方もないことに精神を集中するには、象徴的な要素が役立つかもしれない。だが、音楽家として、また大学教育を受けた白人として、いったいわたしは何を本当に深く信じていると言えるのだろうか。
(『イルカの夢時間』 吉村則子, 西田美緒子訳.p.58-59)
そしてノルマンは、選択した楽器に、三つの信念を託した。まず最初が、時間である。長い時間をかけて作ったものを、人は特別に大切に扱う。時間は人の配慮の深さを表し、配慮は人の責任の重さを意味する。そして、人が何ものかに責任を感じるとき、「その物には大きな力が与えられる」とノルマンは考える。そして、棒を作るために、社会常識をはるかに越えた長い時間をかけようとこころに決める。
二番目が、誠意である。ノルマンは、「棒が完成した時にイルカを呼ぶことだけを念頭において」 ―― 誠意を込めて ―― 材料の木を選び、棒の形を決め、そこに彫り込むシンボルを選んだ。科学的思考を標榜する人だけでなく、ノルマンにとっても、その棒が不思議な力を得るという信念を持つのは難しい。だが、彼が第三に挙げる信念 ―― 直観 ―― に従って、“イルカを呼ぶ”といった「不思議な」力を持つ道具などありえないという近代人の信念体系を越えようとする。規制の考え方の枠組みから抜け出るのだ。
ノルマンは言う。「研究し尽くし、資料を隅から隅まで吟味し、イルカを呼ぶ棒を作る風変わりな仕事についてみんなの意見をくまなく聞いた後でも、いや、その時にこそ、わたしは自分自身の直観に従うだろう」。異種の生きもの同士が通じ合うためには、わたしたちが既に持っており、そこから価値づけている、既成のコミュニケーション手段を突破する必要があるのだ。その時に頼りになるのは、直観しかない。
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