* 「聞き耳頭巾」を持つ人々:ジム・ノルマン *

【コミュニケーションの原則・手順・技法2/3】

2.コミュニケーションの手法

 動物たちとコミュニケーションをしようとするとき、ノルマンは並はずれて辛抱強い。上述したように、コミュニケーション手段としての楽器を創り出すときだけでなく、野生において動物が現れるのを待ち、関心をもってもらうのを待ち、信頼してもらうのを待つ。来る日も、来る日も、ふられてしまうこともある。だが、一日の決まった時間に、決まった場所で、決まった楽器を携えて、ノルマンは待ち続ける。時には、サメに補食されるかもしれないという恐怖を感じ、またそれをうち消しながら。
  音楽的に接近するとき、その動物がどんな音色を、どんなフレーズを、どんな調子で好むのか、ひとつひとつ確かめていく。もちろん、その動物の可聴域や特性を調べ、じっくりと観察した上でのことだ。ここに油断は許されない。たいていの場合、動物の方も、ノルマンの挙動や出す音に注意を傾けているのだから。
  肝心の音楽という点に関して言えば、ノルマンは、自ら<トランス・アプローチ>と呼ぶ手法を磨いてきた。彼は、友人のポール・ウィンター(注8) の<鏡(ミラー)アプローチ>と対比させてそれを特徴付ける。<鏡アプローチ>は、動物が声をあげたり音を発するのを待ち、それをそっくりそのまま真似て返す。一方、<トランス・アプローチ>は、相手と調和、相手との一体感の中に自らの意識を置き、そのときの状況に対する繊細な気づきに任せて、流れに沿って音楽を変化させていく。異種間コミュニケーションについての幅広い探究をまとめた著書『類人猿が語ること イルカが話すこと』(クレイル)では、ノルマンについて1章を割いているが、そこではこの二つのアプローチが次のように評価されている。

  鏡アプローチは、動物の注意をひきつけて、意味のある音を交換する方法であるが、容易に認めることのできる不利な点も抱えている。もしあなたが「わたし ターザン」と言って、わたしが「わたし ターザン」と繰り返したら、わたしたちがそれで何かを達成できるとは必ずしも言えない。ジムのトランス・アプローチは、もうひとつのやり方で「流れに沿って進め」と言うものである ――動物の意識の中に素直に滑り込んで、ひとつの音、そしてまた別の音を試してみる。時には、ある楽器、そして別の楽器を試したり、物まねをするのだがそこから逸れてみたりもする。そしてある反応に対して、また別の反応をしてみる。そうやって、息の合う、それでいて驚きをもたらしたり、実験をして、また実験して、変化させて、また変化する音楽のフレーズで、その動物を魅了するのだ ――その動物から、意味の明瞭な反応が折々返されるようになるまで。
     (クレイル『類人猿が語ること クジラが話すこと』より)

  ノルマンは、この<トランス・アプローチ>をかなり機敏に、そして創意工夫に富んだ形で試みてきた。そして、現存している誰よりも、異種間音楽において成功をおさめたという。動物たちの信頼を勝ち得、彼らの“琴線に触れる”音やフレーズを探りあてたとき、動物たちは一変する。彼らは、まるでノルマンの音楽のぎこちなさを諫めるかのように、堂々と、あるいは見事な声を返してくる。あるいは、次に引用するマイルカのように、円陣を組んで踊ったり、ジャンプしたり、喜びに満ちた遊びを始める ―― まるで自分たちの群れとノルマンとが“一つ”であるように(注9) 。

 終始わたしは、ウォーターフォンでこうした長く滑るような音を演奏し続けていた。もう一度、わたしは水の中に頭を突っ込んだ。そこでは、澄んで甘美な音がしていた。ほら、東洋の鐘の音のようだ、あ、教会のオルガンの音になった。20秒間耳を傾けて、深く息継ぎするために浮上し、再び思い切り頭を水面から突っ込んだ。出てきては潜った。繰り返し、繰り返し。こうした演奏して、耳を傾けるというプロセスは、あまりにもぎこちない。わたしは自分が、海に棲むこれらの生きものたちと交流するという仕事には不適切にできているのを感じた。依然として、ウォーターフォンの音以外、何も聞くことができない。多分、わたしの耳は、マイルカたちが発している高い音調の音を聞くようにできていないということなのだろう。
 しかし、もしわたしが不適切だと感じるのであれば、マイルカたちはそれには全く気づいていないようだった。今ではわたしたちの全て、深い青い海で泳ぐ人とマイルカ、がすっかり一緒になっていた。一頭がわたしの足の真下で泳ぐ。そして次に、血がさっと引いてしまうほど突然に、マイルカの一頭が、数フィートしか離れていないところで、水上かっきり6フィートはジャンプする。まもなく彼ら全員が水から全く飛び出るジャンプをして、スピンしたりとんぼ返りをしたりしている。わたしにできることと言ったら、満面の愚かなニコニコ顔で彼らを眺めることだけだ。そして、本当に遥か向こうの沖では、人間の観客がこの異種間劇場を眺めるために集まっていた。そしてこの時点で、彼らもまた、全員がジャンプして、声を上げて笑い、手を叩いていた ――幸福な子どものグループよろしくやっていたのだ。
 この喜びは真実、伝染する。どんな音楽家だって、演奏でこれ以上のことを望むだろうか?

          (クレイル『類人猿が語ること クジラが話すこと』より)

注8:著名なサクソフォーン奏者。「完璧な音調と、動物の抑揚をとかっきりと合わせられるほとんど超自然的と言っていい技巧をもつ」(クレイル, 1983)。日本でも有名で、CD『コーリングス』は大ヒットとなった。

注9:それはきっと、本サイトの『異種間コミュニケーションの世紀』冒頭で挙げた、“All as One”の世界であるに違いない。

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