* 「聞き耳頭巾」を持つ人々:ジム・ノルマン *

【「標本」より「共感」(2/2)】

  現代、環境の問題が深刻になり、また多くの人々に意識されるようにな
り、こうしたシャーマンによって内面化された「人間=動物」の統合が、旧来の標本学派の一般的な方法論と結びついた。そして、不思議な雰囲気を持つ、新しいタイプの動物学者が現れ始めたと、ノルマンは言う。彼は、こうした動物学者を「共感派」と呼ぶ。動物研究において、自然現象を客観的に分離して観察すべきだという神話は徐々に崩壊した。また、自然のままの野生動物だけを対象にする大規模な新しい調査が行われた。長い
間、動物を標本として眺めてきた研究の立場が、「良性」の調査という新しい方法論にとって代わられつつある。
  「良性」の調査は動物そのものや、動物社会や環境に害を及ぼさず、あくまでも動物のためを旨とする。共感派の動物学者は、人類の乱開発によりすっかり破壊されてしまった自然界の中で動物たちが生き残り、復活するのを助けようと最善を尽くす。まるで大昔のシャーマンのように、彼らは多くの場合、自らを治療師として位置づける。
  ノルマンは言う。「これは前向きの生命肯定的な態度であり、間違いなくこちらに転向するものが増えるだろう。しかも早急に大がかりな治療が必要なのだ」。そして今、この二つの学派の間で、動物学者と動物学の関係は、今や重大なターニングポイントにきている。標本学派を過去の遺物として批判することはしたくない。動物学界の本格的な学派交代は ―― 起こりつつあるのであれば ―― 学問上の急激な変化というより文化的進化の問題である。標本学派は共感派が進んでいくための基盤を提供した。そし
て、二つの学派の転換は、はっきりとした分水嶺とはなっていない。「百年前にも野外研究をしていた共感派の動物学者はいる。同様に、今日依然として大学は標本学派の生物学者をだらだらと輩出している」。
  だが明らかに、ノルマンにとって、未来は共感派の向かうところになければならない。ノルマンは問う。ホエザルの行動について、どちらの仮説がより真実に近いだろうか? 実際、どちらの意見もそれぞれの文化的背景を考えると真実である。では、ホエザルは木から降りて来てしかも人間と同じ言語をしゃべるのだろうか? ノルマンは、「音楽という言語(ことば)で対話する方法を知っている人間に対しては、彼らは明らかに人に通じる言葉を話す」と考える。学問の領域に、新しいシャーマンが生まれなければならないのだ。

 治療の大部分は、地球の流れに歩調を合わせることから始まる。まずほとんどの人々が「知能」だと思いこんでいる誤った概念を捨てなければならない。この概念は有害で、種の差別を促す。自然の中に実際に存在する概念にまったく調和しないものだ。言葉はともかく、ここでは生物がそれぞれにユニークな心の働きを利用して、ミトコンドリアのサクセス・ストーリーを真似る能力が知能だと定義したい。イルカのことを考えてみよう。イルカはそのすばらしい知性をすべて一点に集中させている。単細胞生物の賢さを備えた「考える人」になろうと。
  この自然の倫理のメカニズム、エコロジーの中に身を沈めることができたなら、太陽の下にある何もかもが一つに見えてくる。知能の高い低いは存在しない。カメも、アライグマも、ヤドカリも、みな一つだ。これまで知能だと思い込んでいた分離主義者のヒエラルキーは崩れ、自然の叡智という地球全体の調和に変身するのだ。

           (『イルカの夢時間』 吉村則子, 西田美緒子訳. p. 197より)

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