* 「聞き耳頭巾」を持つ人々:ジム・ノルマン *
【種を越えたコミュニティーの創造(1/2)】
ノルマンが述べる「種を越えたコミュニティー」とは、「人間と動物がごく身近な対等の仲間であることを認め」、すべての生きものが調和し共感して生きていくコミュニティーであり、そこでは信頼や責任感、コミュニケーションや親しい交わりも生まれている。つい最近まで、こうした発想は、「非文明的」であるとみなされることが多く、「大自然と調和して生きることを身に付けたシャーマンや伝統文化の専売特許と思われていた」。しかし、今日、世界規模の環境破壊が深刻化し、こうした話題が人々の意識に頻繁に上るようになった。そして、生物相互の関係を探ろうというエコロジーが注目されるようになった。そんな中で再び、このようなコミュニティーの発想は、「新しい発想」であるとノルマンは言う。
そのイメージとして、ノルマンは、バディ入江でのオルカと人との音楽による交流の経験を例に挙げる。
われわれが海に出て、オルカのポッドの近くで音楽を演奏すると、オルカはそれに応えて、一生懸命、親しげにコミュニケーションを図ろうとした。人間のミュージシャンなみに、夜演奏するのが好きらしい。歌を通じて時間と空間を分かち合い、お互いの魂の創造的なプロセスに心を開いて参加し始める。これこそヒト=イルカ・コミュニティーのコンセプトの実現を約束してくれる前提にほかならない。
(『イルカの夢時間』 吉村則子, 西田美緒子訳. P.258)
このような経験は、ブラジルやハワイ沖のハシナガイルカ、バハマ諸島のカスリイルカ、そしてウエールズやコーンウォールのハンドウイルカでも同様であるという。この「ヒト=イルカ・コミュニティー」においては、人間がイルカを眺めるだけでなく、イルカもヒトを「見物する」。そして、イルカにも、好みのヒトや、コミュニケーションをとりたくなるヒトと、そうでないヒトがいるらしい。
種を超えたコミュニティ ―― それはどのようなコミュニティとなるだろうか? ノルマンは、その仲間としてどのように参加するかということにおいても、どのようなコミュニケーションを誰と採るかということにおいても、お互いの対等性や自由、創造性を強調しているように見える。彼は、こうしたコミュニティにおいて、われわれのコミュニケーティング・パートナーが自らすすんで人間のもとに行き来するようになったらどんなによいだろう、と語る。そして、ヒト=イルカ・コミュニティーが成り立てば、イルカのペースに合わせて様々なことを教えてもらえる、と期待を述べている。
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