* 「聞き耳頭巾」を持つ人々:ジム・ノルマン *
【本当の出遭い、つながり(2/3)】
「コミュニケーションの新次元」は、現実に体験した者だけにしか、その感動や、豊かさ深遠さは伝えられない。なぜなら、意識を変えることなく、それを観ることはできないからだ。ここからノルマンは、「捕らえられた動物との異種間コミュニケーションの実験が皮相的で無駄が多いわけは、これで説明がつく」と述べる。現在、動物行動学などの科学分野の枠内で進められている「異種間コミュニケーション」の実験に対する痛烈な批判だ。
実験が人間中心ならば生み出される結論もまた人間中心だ。それでは動物の叡智の片鱗さえ覗けるわけがなく、実際には動物のコミュニケーション能力も判断することはできない。これでわかるのは、動物が餌を欲しさに、または寂しさを紛らわしたいがために、人間の知的な動作を真似る能力を持っているか否かだけだ。動物は共感者として参加するのではなく、いつも生きた標本でしかない。実験で両者を媒介するのは檻であり、ハウス・トレーラーであり、コンクリートのプールである。マクルーハンの言うように、メディア媒体はメッセージだ。
(『イルカの夢時間』 吉村則子, 西田美緒子訳. p. 231- 232)
本サイトでも一部紹介しているが、科学領域に根ざして異種間コミュニケーションを研究するコミュニケーターたちの多くは、イルカなどクジラ目の海洋動物とチンパンジーなどの霊長類を対象とし、動物を捕われの身にして人間の言語を習得させるという、言語習得実験によるコミュニケーションの研究に努めている。本サイトではその内でも、何らかの形で動物の言語を'真に聴き取った'と思われるコミュニケーターしか取り上げない。だが、現実には、多くの言語習得実験や動物の知能を測定する実験が、人間を優位とし、人間との比較から、人間の尺度で評価する形で、遂行されている。ノルマンは皮肉な調子で、こんな想像を語る。
イルカは五年間捕らわれのまま実験を積み、二歳の赤ん坊と同じ発音を身につけた。チンパンジーにいたってはアメリカのサイン言語(ASL)で多くの単語を表せるようになり、その精神は「もはやチンパンジーとは言えなくなった」と記録された。ここで想像してみよう。顔の動きを複雑に組み合わせて互いにコミュニケートする宇宙人がいたとする。顔の動きはほとんどわからないほどわずかだ。その宇宙人が四次元空間移動装置の不時着によって地球に降り立ち、捕らえられ、研究のために檻に入れられてしまった。五年の後、宇宙人は涙ぐましい努力と相手を喜ばせたい一心で二百の単語を表せるようになる。しかし、どうしても単語をつなぎ合わせられるようにならない。当の宇宙人の文化では知的な思考のコミュニケーションがなかったからだ。何千年も前に機械の操作を学び始めたころはそんなことをやっていたようだが、もうとっくにすたれている。彼の絶え間ない笑顔は一枚の写真が千の言葉に値するというたとえがふさわしいのに、白衣の地球人にはわかっていないのだ。単なるおとぎ話だと片づけられるかもしれない。が、野生のイルカやチンパンジーはこの宇宙人に近い存在なのだ。この事実を理解してほしい。彼らの現実はほとんどの場合、人間の普段の認識には入っていない。
(『イルカの夢時間』 吉村則子, 西田美緒子訳. p. 232)
でもねえ、ジム、ここでイルカやチンパンジーを宇宙人(わたしたちはSFを連想しますよね)になぞらえて、その存在や能力についての空想を拡げるのには、それが”例え”でも、ちょっと用心が必要ではないか? ここでも取り上げたリリーのように、動物の能力について、きわめて人間的な空想を安易に拡げると、それに飛びついて自分に都合の良いように改竄する人もいるし、空想が妄想になってしまう危険だってある。擬人化の極端なタブー視がまずいのと同様、安易な言語化や空想を展開するのは、避けなければ。動物の世界については、その現実の姿にまっすぐに向き合ってほしい。それは、わたしたちがSFで宇宙人として描くものとは別物だ。
地球上に存在する異種の生きものたち、その存在と関わり、そしてもしも出遭うことができて、そしてさらに恐ろしいほどの幸運に恵まれて、彼らと現実にコミュニケーションできそうになったら、その計り知れない部分には謙虚になりながら、彼らとの間で具体的に生じたことを正確に細やかに伝えていかなければ。
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