* 「聞き耳頭巾」を持つ人々:ジム・ノルマン *

【<夢時間>を生きる(2/2)】

  コミュニケーションの当事者となって、わたしたちにとっては未だ、その意識を探るすべさえもない異種の生きものと対等の関係を結んだとき、わたしたちに見えてくる光景はどのようなものだろうか?ノルマンはそれを、「夢時間を生きる」という美しい言葉で呼んでいる。これは、昔のシャーマンやトーテミズムに潜む、自然の叡智からヒントを得た言葉だ。動物と共有可能な、動物の夢時間(ドリームタイム)への飛躍(注6)を遂げるのだ。シャーマンのやり方に想像を巡らせながらも、現代を生きるノルマンは、「動物と意識を一致させる」ために、音楽という手段を選ぶ。そして、相手と自分が互いに受け入れられるものを探し、そこから何かを発展させていこうと試みる。

 七面鳥との合奏には、理屈では説明しきれないもうひとつの側面がある。それは七面鳥の気(エネルギー)を実感したことだ。ぴったりした言葉がみつからないが、われわれの共有した言葉や時間は独特だった。わたしは科学者というよりシャーマンのような気分になっていた。こんな告白をすると信憑性が疑われそうだが、とにかくこれが七面鳥と競演した時の実感なのだ。有刺鉄線のそばに座って、わたしが現れるのを待ち焦がれる鳥に寄せる思い。七面鳥の気持ちにたいしてしだいに深くなる情。天候をともに気づかい、速い動きや音や変化をともに嫌う。七面鳥の次元、まさに七面鳥の夢時間を生きることは、七面鳥の行動研究とは根本的に違う。この関係は「観察」というよりも「参加」であり、「静」ではなく「動」だ。自然の本質そのものである。
    (『イルカの夢時間』. 吉村則子, 西田美緒子訳. p.32より抜粋)

注6:<他者>との言語ゲームの成立は ―― もし成立したのなら、後からみて ―― 「命がけの飛躍」であることを、柄谷も説いている。動物を、わたしたちが「意味していること」が成立しない世界に棲む<他者>と捉えるなら、異種間コミュニケーションの成立は ―― もし成立したのなら、後からみて ―― まさに、われわれの世界を越えた飛躍であるだろう。


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