* my bird sanctuaryにいらっしゃいませんか *

【バード・サンクチュアリの思想: 1.中西悟堂の思想 (2/5)】

 『定本 野鳥記』の月報3(1978.11.25.)で、中西は「野鳥の聖域 サンクチュアリーのこと」と題して、日本におけるサンクチュアリー設立の必要性を次のように述べている。やや長文であるが、引用する。

 私ども日本野鳥の会では、いま全国会員の協力を得て、日本にバード・サンクチュアリー第一号を造成する計画を進めており、もう一つは日本全土の鳥類の繁殖状況を把握するための繁殖分布地図の作成も取り掛かっている。この二つとも日本野鳥の会四十余年の歴史の中での最大の事業であるが、去る昭和五十二年十月一日に東京で催した全国支部長会議の席上、会長としての私の責任で、この二つを提案したところ、北海道から九州に至る約五十の支部がこぞって賛成してくれたので、いよいよこの難事業に乗り出すことになったのである。
 サンクチュアリーという言葉は、最近ようやく新聞でも取り上げ、「鳥の聖域」として知られ出しているが、どういう内容なのかを理解している人は、知識人の間でもきわめて少ないと思われる。私自身はこの言葉を十年前から活字としており、たとえば七年前に東京練馬区長の要請により、同区内のグラントハイツ跡地五十六万数千坪(約一八八ヘクタール)を大公園にする案を考えて提出した折にも、公園内に三万坪のサンクチュアリーを図上に示した(『定本野鳥記』 第九巻<近刊>参照)。その語義は、避難所、聖所、禁猟区域、等々として六十余年前の大正初年版の英和辞書にも出ていることで、何とか将来にわたって使える適切な日本語を作りたいのだが、現行の「禁猟区」とも「鳥獣保護区」とも概念がちがうものとして、いい名称を見つけたいと思っている。
 禁猟区とは「銃猟をしてはならぬ」という区域のことで、鳥獣の保護としては消極的なものに過ぎず、かつ、これは何年間という期限つきのものでしかない。また鳥獣保護区にしても、国が指定しただけのもので、それ以上の内容は持っていない。つまり、指定だけはしても、単なる名称だけのもので、格別その名に見合う積極的、具体的な施策は何もないのだ。そこでとりあえず、サンクチュアリーの上にバードを冠せて「鳥の聖域」と言っているのであるが、しかしこの日本語すら、誰にしてもピンと来ぬ現状である。
要するに野鳥を主として、その他一切の動植物をその生態系ぐるみ守る区域ということで、そうした自然教育も、政策も、施設も、今日まで皆無であった日本では、一般にわからぬのも当然と言えよう。つまりは禁猟区にしても、鳥獣保護区にしても、それらは、狩猟法を骨子とした禁猟禁止の場所に過ぎず、施設としての絶対聖域ではない。

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