* my bird sanctuaryにいらっしゃいませんか *

【バード・サンクチュアリの思想: 1.中西悟堂の思想 4/5)】

 中西は、'野鳥の命を奪う敵'として「狩猟団体」と真向こうから対峙した人物である。ここでは、それだけでなく、当時すでに自然を蝕むように進んでおり、次第に彼が敵対するようになっていった「日本列島の乱開発」、さらにはその帰結としての「全土の自然があるいは破壊され、あるいは歪められている現在、そしてこれによって野生鳥獣がすみかを失い、餌場を寸断されて、人間も住みにくくなっている」状況を挙げ、「鳥獣保護、自然保護の意識が進んでいる」イギリスやアメリカの思想および活動にならった「サンクチュアリー」を想定している。
 中西が解説している「サンクチュアリー」とは、当時すでに制定されていた「禁猟区」や「鳥獣保護区」ではなく、これより遥かに積極的な姿勢で野鳥や自然を守る場所、すなわち「鳥獣および自然物の治外法権的な場所で、いかなる人工的干渉をも許さぬことを建前として法的に規制する区域であり、管理者にこれを管理させる場所」であった。そして、「野鳥を主として、その他一切の動植物をその生態系ぐるみ」守り、さらにはそこにおいて自然教育を行うことが目指されていた。当時でさえ、人間による暴力的な自然の搾取や、その結果としての自然荒廃に抗して、サンクチュアリーの造成こそが「唯一の道」であると考えたのだ。
 先の引用では、このような「サンクチュアリー」に、欧米のものがモデルとして想定されていたことが明らかである。英米およびヨーロッパに、こうしたサンクチュアリーが古くから存在していることが指摘され、「ある地域の自然環境、すなわち森林・湖沼・河川・原野ぐるみ、そこを鳥獣および自然生物の不犯のすみか」としていることが言及されている。さらに、イギリスやアメリカにおけるサンクチュアリーの数や規模の大きさが指摘され、野鳥保護・自然保護に対するその意識の強さが強い羨望を込めて語られている。
 さらに、中西の解説では、大規模サンクチュアリーの意義が謳われているだけではなく、「面積の多少を問わず聖地とし、またそれにふさわしく造成する」ことが提唱され、小規模な敷地であっても、人がサンクチュアリーとして土地を守り育てる可能性が述べられている。また、国や莫大な資金を持つ組織団体だけでなく、個人が私設する場合もあることについても、言及されている。

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