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【バード・サンクチュアリの思想: 1.中西悟堂の思想 (5/5)】

 野鳥や自然を守ろうとしてその半生を戦い抜いた中西悟堂にとって、上のサンクチュアリーへの抱負は、ひとつの大きな希望の光であったに違いない。中西はそれを、野鳥を守れる場所としてだけ考えていたのではない。そうした場所が契機となって、乱開発や狩猟全盛だった日本の自然に対するあり方に対して、鳥獣保護、自然保護の意識を目覚めさせる大きな変革が生まれることを、中西は希求した。彼は、「現在、自然を恢復し、人間を含めてすべての生物が健全に生きる指標としては、このサンクチュアリー造成こそが唯一の道だと思う」とまで述べている。
 サンクチュアリーという場所は、そこで狩猟という名の殺生や開発という名の生態系破壊を起こさせないというだけでなく、人々が自然や生きものとのつながりやその大切さを感じ、そうした意識を抱いていくようになる起点としての空間であったのではないか。また、幼くして仏門に入り、当時の画家・文学者と広く深く交流し、東洋思想・宗教を背景に、人間の“人間としての生き方”を探求し続けた中西は、科学的な自然観察・野鳥観察や生態系保護という側面と並び、温かな心情で諸生物と交わることができるような、人間性の豊かさをはぐくむ空間として、「サンクチュアリー=聖地」を想定していたのではないだろうか。膨大な著作から、中西は、鳥を観察し、親しみ睦む中、“鳥の目線で”鳥と語ろうとし、鳥を思っていたことが伺える(注2)。彼は、鳥たちの命を護った上で、彼らと“命と命の交流”をしたかったのではないか。そうした夢の実現のために、「サンクチュアリー(聖地)」という言葉を導入して、これが広がっていくことが希求されたのではないだろうか。

注2 幼少時の中西は、体が弱かったため、21日間の断食、21日間の瞑想、21日間の滝行をさせられた。滝行で座っている彼の肩に、小鳥たちがとまっていたことが記されている。その後も、自然の中で、鳥たちが彼を追ってくることが幾たびも記録されている。
 本サイトの関心から捉えると、中西悟堂は、野鳥との「異種間コミュニケーション」において、ある意味からはその真髄を極めていたのではないか、と言えると思う。

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