* my bird sanctuaryにいらっしゃいませんか *

【サンクチュアリを探して(2/7)】

 そもそも何故、「サンクチュアリ」という言葉が<意思をもつかのように>わたしの胸に飛び込んできたのでしょう? そこから探していったことを、現在進行形ですが、書いてみます。

 確か2001年の春――。わたしは、学位取得後の一大転機、「異種間コミュニケーション」研究に着手したてで、意欲がぴちぴち弾いているような感じだった。ただ、コミュニケーション研究において、"相手の声に耳を澄ます"こと、特に"声なき者"と言われている生きものや、弱いもの・かそけき繊細なもの、虐げられたり排除されている他者の声に耳を澄ますことの大切さに気づけば気づくほど、今地球で起きている環境破壊や、身の回りで目にする命への暴力や乾ききった無視に、耐えられなくなっていった。そして、そのことがきっかけで出遭えた優秀なヒーラーさんから、「sumikoさんの望みは何ですか? その研究のための研究所を作ることですか?」と尋ねられた。そう言われてみてわたしは、とっさに、この研究は"研究のための研究"ではない、と直観した。それは"一流の研究"であり、同時に"人類にとっての答え"であり、何より"わたしの生き方"でなければならない。
 気づいたとき、小鳥や樹木が生き生きと育ち、安らいで守られていく世界、澄んだ水の流れやひんやりした苔の感触や緑の木々のそよぐ音、静寂と平穏の中で、小鳥や樹木と信頼のもとに調和しながら、彼らと対話したり一体感を感じるという夢を、わたしは語っていた。
  この21世紀でさえ、ちいさな命に耳を傾け、時間と愛情と注意深い心遣いを注げば、生きものたちの信頼を得て、彼らと命あるもの同士としての関係を結び、彼らの世界について洞察を深め、彼らと異種同士の対話をすることは、夢物語ではない。わたしの希求する異種間コミュニケーションの研究は、そうした対話が可能だということを、明晰な理解を持って実現化し、こころある人々に共感していただくような研究 −− 生き方を伴った研究、研究という生き方 −− だ。「それなら」と、そのヒーラーさんは言った。「小さくてもご自分でそういう空間を実現して、そこを光一杯にしていったらどうですか」。
  自然破壊、環境破壊、暴力といった闇で、世界の暗さがどれほど深いものであろうとも、小さな光を灯し、その光をやわらかに広げていく −− そのためには、まず小さな光を灯すことから始めなければ ―― こうして、わたしがしたいことは、サンクチュアリの創立なのだ、それは異種間コミュニケーション研究のフィールドでもあるのだ、ということが、わたしの中に閃いた。

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