* my bird sanctuaryにいらっしゃいませんか *

【サンクチュアリを探して(4/7)】

 2004年9月、毎週氣功の指導をいただいている先生の招きで、遠方からI先生がつくばにいらしてくださった。毎年1回、恒例となっているI先生の練習会であったが、I先生はその年を最後に、それで10年となるつくばでの稽古を打ち切られることになっていた。練習会の後の懇親会の席上で、ひとりずつの挨拶の際、そのつもりはなかったのにわたしは自分の夢を語ってしまった。皆が名残を惜しみ、一瞬一瞬を楽しんだそのときの練習が余りにも素晴らしく、その場がエネルギーに満ち、仲間の支えという力が宿っていたのだと思う。

 昨年の夏、地球温暖化によって南極の氷が溶かされ、アデリーペンギンの子どもが次々と死んでいくのを知り、おお泣きに泣きました。しばらくは気持ちが沈み、からだまで不調になったのですが、修練のおかげで、自分にできることは本当に何もないのか、できることがあるならしたい、と思うようになりました。それで、できるだけ広い面積の土地を買い、そこを緑あふれる自然豊かなサンクチュアリを創りたいです。わたしは、特に鳥が大好きなので、そこで小鳥たちを守り、そして自然と人間との調和や、自分の'内なる自然'と'外にある自然'との調和について学びながら暮らし、こうしたことに関心のある方々、あるいはこの方面の先輩の方々にいらしていただけたらと思います。
 そこでみなさま ―― わたしのことですから、費用の点で、荒地や浄化の必要な土地を買うかもしれません。どうぞみなさまの素晴らしいエネルギーで、一緒に修練をしたり清めたりしていただくお願いをするかもしれません。みんなで樹林氣功をやりましょう。

こう挨拶し終えて、一番最初に反応してくださったのは主賓のI先生だった。「そういうことなら応援します。〔I先生主催の〕会でもカンパします」 ―― カンパ、特に金銭のことは、多少当惑した。だが、これに継いで、みんなが次々に応援やら思いついたアイデアを声に出してくれたことは、今思い出しても、気持ちの翼が大空まで羽ばたいていくような出来事だった。つくば訪問をお終いになさることについて大勢から引き止めの言葉を受けられたI先生は、最後に、「それでは次回は、サンクチュアリで」と締めくくられた。夢は、嬉しい形で、もう引っ込みがつかなくなった!
 このときのことで忘れられないもう一つのことは、「自分の立っているところが聖地」というI先生の言葉だ。様々な聖地を訪れ、厳しい修練を重ねられた後、屋久島にて突然この言葉が浮かんだとおっしゃっていた。「自分の立っているところが聖地」 ―― 本来は、そうでなければと感じた。どのような場所にいても、清らかで凛とした空間を生む力を磨くこと、そして、どれほど美しい場所にいても、自分の内面が聖性に満たされていなければ恐らくは意味が無いこと、これは真理だと直観し、そうなれるには自分にはまだまだ道が遠いことも、残念ながら痛感した。

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