* my bird sanctuaryにいらっしゃいませんか *

【サンクチュアリを探して: 2.創立へと歩むための松明(1/2)】

 それでも、できることから始めたい。どこかにある「聖地」を探すのではなく、聖地とは創っていくべきものではないかと思う。また、本来は、I先生が仰ったように、自分の立っているところ、自分自身が聖地となりたいと願う。
 プロジェクトに関しては、まだ、知識も智慧も十分でない。"現代"という暗闇の中を、夢に通ずる道を探しあぐねて、迷っているのかと思うこともある。そんなことをしているうちに、身近な生きものも、アデリーペンギンの子どもも、どんどん消えていってしまうことへの焦りや自責もある。しかし、手や足を使って少しずつでも何かやりながら、必要なことが身についてくるのだと思う。そして、わたしには、たった一つだけ、暗闇を照らす、小さいけれど綺麗な、一等大切な松明の光がある。

 それは、バード・サンクチュアリを創れた暁には、ことりの信頼を得られ、無心に、そして繊細に、ことりと対話していけるということについての、絶対の確信だ。古くは、アッシジの聖フランシス、また日本では良寛和尚のところに、小鳥や小さな生き物たちが恐れずに集まって、説法を受けたり、助けられたり、喜びをもって遊んでいたり、という話がある(個人的には、わたしは、この話は絶対に本当だと信じている。実現することによってしか検証はできないが、小鳥について長年観察した限りにおいて、彼らに聖人の慈悲や無心なありかたを敏感に感じ取る力があると思える)。また、'日本野鳥の会'の創立者で、日本の自然保護運動の草分けとして活躍し、宗教・芸術・自然科学におどろくべき力を発揮し、しかも超人的な野生児だった中西悟堂氏の肩や手には、小鳥たちが恐れずにとまり、どこまでも後をついてきたという記録が残っている。さらに、1960年代のイギリスにおいて、'小鳥の家'に住んだレン・ハワードさんは、日々小鳥との細やかな対話を記録している(『小鳥との語らい』 思索社)。とうてい、聖人にはかなわないが、レンさんの本にあるようなことを、21世紀の日本で実現できる、そのことだけは、わたしの絶対の自信となっている。そして、かつて人間が殺したり追いやったりしたために人を恐れるようになった小鳥も、人間のこころが無心で穏やかで愛に満ちていれば、再び恐れずに友となって近寄って可愛い姿を見せてくれる、無為に遊んでくれる ―― そのことを実現することが、現代の人間に対して、残りの人生かけてのわたしのメッセージだということだけは、信念が失われない。ゆえに、わたしは絶対に、夢を実現させたいと想う。

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