【サンクチュアリを探して: 3.サンクチュアリは何処に (2/4)】 もしも君が近づいたときに、鳥が飛び去らなかったなら、どんなにいいでしょう! もしも彼らに触れて、仲良くできたなら、どんなにすてきでしょう。しかし、私たち人間は残酷ですね。私たちは、鳥を殺したり、苦しめたり、網で捕らえてカゴに入れたりします。カゴの中のすてきなオウムのことを考えてもごらんなさい! 毎晩、オウムは連れを呼び、他の鳥たちが広い空を飛んでいるのを見ます。私たちがこうしたことを鳥にするとき、鳥に近づいても、彼らが怯えないだろうと考えますか。しかし、閑静な所で静かに座り、まったくじっとして、本当に穏やかであるならば、鳥たちが来てくれることにすぐに気づくでしょう。鳥たちはすぐ側を舞い、彼らの機敏な動きや繊細な爪、羽毛(はね)のとてつもない強さと美しさを観察できるでしょう。しかし、そうするためには無量の根気を持たなくてはなりません。それは、たいへんな愛を持たなくてはならないということです。そしてまた、恐怖があってはなりません。動物は私たちの恐怖を察知するようです。すると今度は、彼らも怯えて、逃げ去ります。それで、自分自身を理解することがとても重要であるわけです。 樹の下でじっと静かに座ってごらん。けれど、ほんの二、三分間だけではいけません。なぜなら、そんなに短い時間では、鳥は君に慣れないだろうからです。毎日、同じ樹の下に行って、座りなさい。すぐ君は、まわりのあらゆるものが生きていることに気づいてゆくでしょう。草の葉が日射しにきらめいているのや、小鳥の絶えまない活動や、ヘビのとてつもない艶(つや)や、凧が空高く上がり、そでを動かすこともなく、風を楽しんでいるのが見えるでしょう。しかし、このすべてを見て、その喜びを感じるには、内面に本当の静けさを持たなくてはなりません。 (J. クリシュナムルティ 『子供たちとの対話』 平河出版社 1992) 人間の思い込みや感情移入、感情的な反応を超えた、鳥との真なる対話があるとしたら、上のクリシュナムルティの言葉は、それを示唆しているような気がする。ここには、「調和」とか「一体感」が現実にどういうことなのかについての、ヒントもあるように思う。 |